パンドラの箱に期待を込めて。

自分の声を録音し再生し、おののいた経験のある人は多かろうと思う。

これは自分の声が普段は骨伝導で聞こえているためであるらしいのだが、この物理的仕組みそのものにおののく人はそこまでいないと思う。

 

多くの人がおののくのは、恐らくこの他人として聞く自分の声がほとんど間違いなく「変な声」と感じるためである。

私の場合、そうして聞くと非常に鼻にかかった感じがし、説得力の無さが際立つ軽々しい声を発していると感じ傷つくことになる。

変化の仕方の違いはあれど、皆何かしら「思ってたのと違う」感覚を得るんだと思われる。

 

そして本当におののくべきことは、これが氷山の一角である可能性が高いことだ。

声に限らず、人は鏡で自分の姿を見、これを人様に見せている自覚で家を出る。

ところが、この姿が骨伝導経由で聞く声と同じ変化率があった場合、骨伝導を介さない私の姿は自分の思ってるのと違う、もっと変なものになっているかもしれない。

(テレビの演者は変な自分を普段から見れるため、軌道修正ができるのかもしれない。)

 

声と同じマイナス方向の変化があるとした場合、そしてその変化を突如知る場面を得た場合、穴があったらもう一段深くしてから中に入りたいとすら思うはずである。

 

遅刻ギリギリで寝ぐせを直さず向かった待ち合わせ場で友達から笑われることには耐えられるが、鼻毛が思わず飛び出ていることを知らずトイレの鏡前で愕然と発見し、自然を取り繕いつつ伏し目がちに席に戻る瞬間にはどうしても耐えられない。

 

あらゆる面接経験のある人は、あるいは事前に自分の受け答え動画を正面から撮影し、他者から見える自分を分析したことがあるかもしれない。

ツワモノだと思う。私には怖すぎてとてもできない。この経験をした人は乾布摩擦とかできるタイプのツワモノにしか思えない。

私だったらその動画を見た瞬間、その瞬間から一歩も外に出られなくなってしまう。

その動画には化け物が映っている。鼻毛が出てたとかそんなレベルじゃなく、もっとドギツイ部分がボロンボロンに飛び出ている恐れがある。

パンドラの箱としか思えない。

究極の臭いものには蓋、である。まさか自分が臭いものであるとは。

 

もっと言えばデパートで突如現れる磨かれ過ぎた鏡に出会うことも極力避けたい。

うきうきとした気持ちでブラついているその時に、突如柱影からサバイバルナイフを持った暴漢に立ち尽くされた感覚になる。

 

一方で。

鏡の前で前髪を頻りに気にする男子、誰もそんな些細な所気づかないよと思ってしまうほど微妙な化粧の色合いを補正する女子。

 

私はそこに一筋の光を見ていたい。

彼らは決してそれが他人から見た際の大きな加点になることは期待していないように思われるからだ。

では何のためか。

パンドラの箱を開けられないのであれば、少なくともそのパンドラの箱の中には実は臭いものではなく香り豊かなバラが敷き詰められている。敷き詰められているんだ!という強い自信を持ち続けるために、鏡の前から去るその1秒前まで自分としてのベストスコアの姿を脳裏にやきつけておきたいのだ。

焼き付いたらOK。箱は開けなくてOK。

 

結論、他人からの評価はコントロール不可なのであれば、そして世の中にはとんでもない世界記録を出す美の競合達がいることを考えれば、自分なりのベストな装備で戦い抜くしかないのだ。

 

そして、もし、ボーナスチャンスがあればなおいいなと思う。

骨伝導を介さない声が、実は自分では気づけなかったプラスの作用をもたらしていてくれたら、これこそ何にも代えがたいご褒美だと思う。

コンプレックスと感じていたそばかすが、思いのほか好評でとまどう女子のように。

 

そして、素であれ取り繕ってであれ、人から好評が得られない夜は、パンドラの箱にバラが敷き詰められていると夢見ながら、「なんでこの良さが理解されないかな~」と独り言ちながら眠りにつくと、バランスが取れるのかもしれない。

自分なりのベストスコアは(場合により無制限に美化されながら)脳裏に焼き付いているのだし、本当のパンドラの箱の底には希望だけが残っていたようだし。(Googleで調べた。)