クレームをつけられる人

カフェ、居酒屋、混雑する役所。

いずれの場所でも見かけるクレーマーの方々。

私は遭遇する度、胸高鳴ることが多い。

 

なんだろう。

基本的にスタートは店側/客側、初対面同士なわけで、敬語で丁寧な応対からスタートする。

そこに何かしら気に食わないことが起きたとしてもだ、その関係性をぶち壊し場の空気を戦闘状態に移り変わらせるエネルギーがある意味すごい。

あの時、ほら貝が確かに鳴っている。

 

私が胸高鳴ると感じるのは(クレーマーの怒りの矛先が自分へ向いていないことが保証された上で)、クレーマーを取り囲む私を含めたオーディエンスが、見えない絆で結ばれながら温かい白湯に浸かり合っている関係性になると思えるからだ。

自らが抱えていたちょっとした待ち時間の長さに対する怒りの感情はしゅんと消え、お、なんかしびれる展開になってきましたなぁとサウナの横のおじさんと語りあう感覚に陥る。もしくは関ケ原の合戦を傍目に見ることとなった隣家の百姓同志か。

 

私の場合、場の空気がピリつくと、抜刀していないのに何故か賢者モードに入ることが多い。

母親が私の兄に対してキレている時は何故か宿題が捗ったし、職場で上司が他の社員を叱責している時は同僚にもお客さんにも丁寧に接することができた。

明日は我が身と気持ちを律しているのかもしれないし、戦時中における自粛ムードな感じもするし、とにかく火照った体に水をぶっかけられた居心地になる。

 

クレーマーに対しもう一つ感心するのは、感情と行動がもたらす結果の足し算の考え方が独特に思える点。

ここでふつふつと沸いた怒りを対面の人間にぶつけることで得られるかもしれないメリットと、メリットを得られないかもしれないリスク、ぶつけたことで周りからほぼ確実に得るヒンシュクというデメリット、メリットを得られたとしても何か暴れまわってしまったことに対する自己嫌悪というデメリット。

これらの個々の持ち点も気になるし、持ち点を足し合わせて結果プラスになると踏む計算式がすごい。多分メリットに対して係数3くらいかかっていそうだ。

 

僕は生涯クレーマー側に回ったことがあるだろうか。

憧れを抱いちゃいけないのは分かっているけど、なんか人として自分にないものを爆発させている人をみると尊敬する。