師であるとは。

自宅から約15分自転車で行った所に一つのバスケットゴールがある。

だだっ広い公園の一画に当たるわけだが、日本では貴重な野外バスケットコートであるため、割と足繁く通っている。

だいたいそこにはいつも3~4人の少年・少女達が自主練習をしている。

多いのは中学生であるが、中には小学生もいて、日によっては小学校1、2年生とおぼしき小さなバスケットボールプレーヤーが集っている。

 

7月初旬のよく晴れた日。

私がコートに到着すると、日曜だからか8人くらいの少年・少女達がバスケットを楽しんでいた。

少々ごみごみしていたが、私も邪魔な大人とならないよう控え目にシュート練習を開始した。

少年たちがボールを取ってくれたらなるべく明るく大きな声で「ありがとう」。

私がボールを取ってあげたらなるべく優しい軌道で「ほいっ!」と言いながらパスをする。

 

こんなバスケットシュート練習コミュニケーションを少年・少女たちと交わしながら小一時間が経過したころ、唯一いた40台の子供好きそうな男性プレーヤーが私に声をかけてくる。

 

「1 on 1 しませんか?」

後で話してみると某財閥系企業のエンジニアリング会社の技師であるこの方は、どうもこの公園の隣に家があるらしい。

よく家の窓から1 on 1ができそうな青年・大人がくると駆けつけて勝負をしているそう。

俺のテリトリーに侵入する奴は何人たりとも倒してやるという気概とは全く正反対な見た目の人のいいおじさんは、時には少年・少女たちにバスケを教えてあげたりしながら土日を過ごしているらしい。

そういえばシュート練習する姿、技師だけあってなかなか手際がよくシュート成功率も高かったように思う。

 

いきなりの1 on 1、私としては久しぶりの(シュート練習以外の)バスケであり、勝ち負けうんぬんよりも足を怪我しないか、少年たちにぶつかってケガをさせないかが心配でほんの瞬間躊躇したが、ここでお断りした際ののちのコートでの居づらさと天秤にかけ温和に決戦を受諾した。

 

一言目、「大学生ですか?」と聞かれた際は、少し嬉しかった。

こんな「おじさん to 30男の会話」でも年齢は下回って推測してくれると嬉しいものなのだから、やはり女性との年齢QAはとことん下狙いを徹底した方が良い。

 

主旨ではないのでさらりとなるが、1 on 1 対決はおじさんの勝ち。次に行ったスリーポイント対決は私の勝ち。フリースロー対決はおじさんの勝ち。最後に「すごろくシュート対決」を行った。

 

すごろくのように、ゴールを支点としてぐるっと一周、おおよそフリースローの距離から9本ゴールを決め、最後にスリーポイントを沈めると終了。1本決めたら隣のマスからシュートを打ち、連続9本入ればそれで終わるが、1本でも外すと外したマスにステイ。打ち手の交代となる。誰が一番早く上がれるかというすごろく+バスケのゲームだ。

 

おじさんと二人でやった際は、かなり最後はぐだぐだになりながらも私の勝利。

まずは練習で一戦やりましょうという話だったからか、おじさんは私が連続で沈めていくたび「練習だからね」を連呼しており、わかっているよと思っていた。

楽しかったのだが私が勝ちを収めたのちもう一回二人きりで対決するのは大人のたわむれが過ぎると思ったので、二回戦は周りの少年たちを巻き込むことを提案。

声をかけるとその場にいた中学生二人、小学生三人が本当にしぶしぶの表情で参加を決めてくれた。

 

小学生は高学年一人、低学年二人といった感じだった。

低学年の子のうち一人はおそらく日本人とアフリカ系のハーフだった。(終わって軽く挨拶をした際お母さんがいて日本人だったのでお父さんがアフリカ系の方なのだろう。)

 

申し訳ないがその二回戦はおじさんと私の二人勝ち、少年たちはなかなか入らず楽しめているのか不安であった。

とはいえ私がダントツで勝ちを収めた際、ズバズバと連続で入るシュートに対し、「すげぇプロみたい」との感想が漏れ聞こえており、嬉しかった。

 

結局このゲームを二回行い、私は引き上げることにした。

おじさんとはまたここで会いましょうと約束し、去る際に少年たちと目があったら手を振ろうと思っていたが誰も私のことは見ようともしていなかった。

プロ的な人が帰るのに~。

 

公園の水道水でひとしきり顔と手を洗いリフレッシュ。一服したのち自転車で公園出口に向かっていると前述した通りハーフ少年とそのお母さんと出くわすことに。

私はすれ違いぎわ、少年に目を合わせて会釈をすると少年も軽く返してくれた。

そして、お母さんが「ありがとうございました!」と声をかけてくれた。

 

とっさに感謝の意を伝えられ、びくついてしっかりと返しの言葉が発せなかったのだが、くすぐったさと嬉しさでとても温かな気持ちになった。

ありがとうございましたということは、お母さん目線からすると、子どものバスケ練習に積極的に関わってくれ、シュートのアドバイスなどもしてくれありがとうということだったのだろう。

いえいえ、彼の自由にシュート練習する機会を奪ってしまったのであったなら、むしろごめんなさい。アドバイスといってもスラダン受け売りの「ひざが大事だから」の一言くらいであったし全然何もしていない。

だが、あのすごろくゲームの瞬間、確かに連続でシュートを決める私は彼にとって「すごい人」に見えていたはずであり、たった一言のアドバイスでも嬉しく感じてくれたのだろう。

幸い私は180センチ近くは背があるので、子供からすれば正体不明のややプロ的な人に思えるのは想像できる。私も子供のころ逆の立場で同じような人が現れたらそう思うと思う。

 

だがしかし、少年よ。一般的にアフリカ系の血はなかなか優れた運動能力を持っているよ。ことバスケに絞って考えてもNBAや今ではbリーグだって大活躍しているのはやっぱりアフリカ系の血が入っている人達だよね。

とするとだよ、これまた一般的に考えて、純アジア人である私なんて君が本気でバスケをあと7年くらい続ければあっという間に抜き去っていくわけだ。

私は高校時代、強豪私立高校と対戦した際セネガルからの200センチ越えの留学生と対戦し勝ち負けうんぬんの土台に乗れなかった記憶があるのだよ。

NBAを観るといかに黒人プレーヤーが無双しているか、私はめちゃめちゃコービーブライアントのファンなのだよ。

 

ただ公園で出会い、たまたま君より20年くらい年上であるだけで、アジア人がスーパープレーヤーになるかもしれない原石にアドバイスとかして、ごめんね。

私が8歳くらいの時に、得体の知れないテキサス州出身のドアメリカ人に箸の持ち方を説かれた感じになるんだろうね。

君も年を経たら、アジア人にバスケを教わったことあったなっていうエピソードをすこし不思議に思ったりするかな。

 

子供は原石だ。いろんな原石であると思う。

に対し、大人たちは持って生まれたポテンシャルうんぬんでなく、年長者として各種技能は子供たちよりほぼ優れている。

だから、ものすごい原石であっても、大人は子供に教えられるし、子供は大人を尊敬してしまう。

師であることは、自尊心をくすぐられる。私も「プロみたい」の囁きは、久々に耳がダンボになった。

であるがゆえに、優越感なんかに浸ってはいけない。ただ年長者であるだけで、先人であるがだけで経験してきたことが君たちより多いだけなのだ。(あと背は"先に"伸びているだけなのだ。)

君たちが同じ経験量を持っていたら、全然抜かれている可能性大なのだ。

 

経験してきたことは誇りだけれど、裏を返せば経験は時の推移とともに自然に付帯してくるもの。

その瞬間、その公園の一画で師として振る舞うとき、私は自分の積み重ねたバスケの技能に感謝したし、君たちのポテンシャルを開花させたいと思ったし、開花して抜き去ってほしいと思った。

個人的人生としては時期尚早なのかもしれないが、次世代に期待するわくわくを感じてしまった。

 

その子、帰りぎわ握手してもらえばよかったな。

将来絶対覚えてないけど、「あのアジアン人がきっかけでした」的なこと言われたら超絶舞い上がるだろうな。という妄想をする平成最後の夏。