身体感覚③

いま、スマホで検索したりアプリを活用すればおおよそすべての知識が手に入る。

難しい用語に出会ったり不得手な分野の会話があった時も、究極これまで誰かしらが辿り着いた見解であれば、ほぼ無限に広がっているデータベースがあるので、検索できさえすればそこに到達できる。

 

確かに、理系の話や哲学の話を例にとったとして、検索結果だけ知れても意味がないかもしれない。なぜなら、なぜその帰結になったのか、その言説の背景にはどんな変遷があったのか、などは検索結果として出た言葉だけでは理解などできているはずがない。人に受け売りで話したとしても音読とか伝聞に近い。

 

しかし、あえて究極に、スマホがもっと進化して、とにかく脳内に埋め込められるほど小型化して、理系の話も哲学の話もそこに至った背景まで瞬時に検索し言語化できる機能が備わったとしたら。受け売りか否かも聞き手が判断できないほど検索技術と腹落ちと言語化がアシストされるとしたら。

 

それを埋め込む時代は、「この人物知り~。」という感覚はどうなるのだろうか。たぶんこのチップは英語やフランス語なんかも言語をつかさどる脳に刺激を与えて話せるようにできる。

 

おそらく、積み上げた知識や鍛錬した思考なんかはチップの性能次第でみな平等になる。

検索から結果が返ってくるまでも0.001秒とか東京物語みたくなるので、差が感じられない。

 

としたら、何を知っているかではなく、誰が語っているか。どんな雰囲気の人が語っているか。語る声色がどんなものか。語る表情がどんなものか。語る手をどこに置いているか。

 

そんなことで信頼できる人なのかそうでないのかが決まってくるのだと思う。信頼できるか、というよりは信頼するか否か、のほうが近いかも。

会話の内容ではなく会って数分の間の第一印象でと面接で言うけれど、そういうことなのだと思う。

 

発言するとき臆していなかったり、あーとかえーとか挟まなかったり、胸を張って座っていたりとか、そんな人対人のフィジカル的な機微で判断が行われることになるのだと思う。

 

政策はあまり差異が見えないけど、石破さんここが少し弱い気がする。

好きなのだけど。