大仏

とある環境の変化が重なった際、思い立って鎌倉の大仏を観にいこうと決心した。

幸い鎌倉駅までは電車で15分程度の住まいであったため、最初は近いし行ってみるか程度の心持ちだった。

電車で本を読みながら半分寝そうになりながら鎌倉駅に到着すると、「高徳院こちらへ」の看板が掲げられている。鎌倉にはその他大勢の寺社があるので、特別大仏がフィーチャーされている感じではない。前に行ったのは確か5~6年前であったから、徒歩で行ける距離なのかバスに乗るべきなのか判然としなかったが、時間も持て余している身であったため歩くことを決意。

 

その日は7月初旬、気温は30度超えの快晴。猛暑なのか普通の夏日なのか、どの言葉が当てはまるのか不明であったが、Tシャツ短パンリュックサック姿で大仏に歩を進めるのも勝手に趣を感じたところであるので爽やかな心持ちであった。

 

さて、その日は平日であったので高徳院こちらへの看板に従って歩みを進める同志はほとんど見当たらない。炎天下の中、脇を車が通り過ぎる以外は静寂と言っていい状況でひたすらやや上り坂を進む。途中2回ほどトンネルを潜り抜ける。その切り立った山の底を歩く若干の恐怖と、トンネル内特有のひんやりとした肌感を感じながらもくもくと進んだ。

 

なかなか高徳院っぽさや大仏っぽさが現れない。平日だからかもしれないが、わいわいと観光地じみた喧噪も現れず、じっと炎天下を耐え忍ぶ家々が林立する住宅街に突入していくのみ。看板の指示に従っているため、方向が誤っている可能性はほぼ無いのだが。

 

私はスマホで地図を確認し、自分がどの位置にいるのか、あと何分くらいで到着するのか確認する手段を持っていた。しかし、ここでスマホには頼らないと決めていた。その理由がなんであったか。漠然とであるが、大仏に辿り着く過程を文明の利器に頼ってはいけない。自らの判断・脚力でのみ到達すべき。という謎の信仰をもってしまっていたのだ。

 

かなり不安になる。昔の人、特に思い浮かべだのは大河ドラマで取り上げられがちな江戸時代の人だが、目的のお屋敷や寺院へ向かう際、初めての道中であったならさぞ不安になるだろうなどと考えていた。私はいざとなればスマホに頼ることができるが、当時の人は地図らしきものは持っているだろうが、一度迷い込んだ自分の位置を衛星から確認させることなどできない。

 

自分を江戸時代へセルフタイムスリップさせ不安を抱えながらひたすら大仏を目指した。

 

心境の変化がある。すごく、大仏に会いたい。大仏様にお目にかかりたい。もはやお救いください。あぁ、大仏様。ここまでいった。先人たちが仏教や自分の信仰する宗教の偶像たる銅像や石造に参る際、このような心境になったのだと想像した。そこにあるのはいわゆる物理的な建立物であり観光客にとっては名物スポットなだけで、さして重要な意味づけはないのかもしれない。だが、私の中では「鎌倉の大仏」を超え、「精神の支え」にまで昇華していた。

 

ここを右!の最後の看板を右折すると、ようやくそこに人込みが現れた。どうやら鎌倉駅からの裏道を通ってきたイメージのようで、なかなか観光客に出くわさなかったわけだ。

 

拝観料を払い門をくぐり抜けると、紺碧の空を背景とし、徐々に大仏様のお姿が現れる。ようやくお会いすることができた。めちゃくちゃ不安だった私の心は、大仏様のご尊顔を観るといっきに癒され、大仏様は「待っておったぞ」とお声をかけてくださっている感覚があった。

 

但し、いったん道中で尿意を催しておりトイレに行かせていただいた。頭出しご挨拶をし、トイレに行き、整ったタイミングで再度正式にご挨拶。

 

青空澄み渡る天候のもとで大仏は微笑んでいるように見えた。雨の日も風の日もこんな炎天下の日も、大仏は動くことはできない。大仏を囲う防御壁もなく、ただそこに居続ける大仏。

本来、宗教的意味も様々あるのだろう。決して私はそれらを理解していない。ただ、一介の市井たる私にとっても、大仏が鎌倉に腰を据え、軸で居続けていることが、何か精神的な安定をもたらしてくれていると感じるのであった。

 

また、周囲は外国人観光客が写真ラッシュをかけていた。全員遠近法を利用した手のひらに乗せてみるアングルで撮影を試みていた。鎮座していらっしゃるところに重みがあると感じていた私は、手のひらサイズにしたら良さ消えてまう!と忠告したかったがしなかった。